健康のためにもっとワガママ言っていいんじゃない?

個人の健康と社会は繋がっている。
健康に関する社会の役割とは、医療や保険、周りのサポートという意味でも もちろんだが、それに加えて個人がもっとワガママになれるか、それを許容できる社会であるのかが鍵である。
自分の体からは、痛みや違和感などの様々なメッセージが出されている。それをキャッチするのはまず体の持ち主であり、他者は自分の異常を間接的に知るにすぎない。
例えばお腹が痛いであるとか、咳がでる、だるいとか、上司や同僚とのコミュニケーションにストレスを感じるとか。ふとした体からのメッセージを見逃してはいけない。そこを自覚できさえすれば、多くの病が発症するより前に防げるのではないだろうか。
しかし実際に多くの場合、そうはならない。なぜなのか、それは社会環境に一因がある。
体調が少し悪いがこれくらいなら会社を休むべきではないとか、自分より体調が悪そうなあの人ががんばってるからとか、自分のちょっとした違和感で他人に迷惑をかけるべきではないとか。
「がんばる」「努力」「立派」という社会からの評価のために、個人のストレスの抑圧や過度の自制心を見いだそうとする社会を美とする限り、個人の健康は達成されない。もっと気軽に、だるいとかしんどいとかのメッセージを発信し、そこを直すことに気をまわすことを許容すべきだ。
個人の健康のためには、もっとワガママを言えるようになるべきだと思う。