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「バカ」の類型

もう徹子の部屋がやってる時間になった。

昨日は飲みすぎたせいで、深夜に気持ち悪くなり吐いてしまった。20代の頃は全然平気だった酒とタバコも、用法用量を間違えると頭痛と吐き気がひどい。30過ぎてから、ひしひしと老いを感じる。

 

さて、昨日友人と飲みながら

・outputってホント大事

・日々の雑感でも、書き溜めていけば仕事につながるかも

・30分とか短い時間で書く。というか、その時間で書ける程度の内容で書く習慣をつけとくと良さげ

 

みたいな話で盛り上がって、結果ブログラリーを始めてみようという話になり今に至った。

inputが多くoutputが苦手な自分にとってはとても魅力的な提案で、書物業をやってる友人ほど面白いネタは思いつきそうにないが、無い頭を絞りつつ始めてみたい。

 

アカデミズム界隈でたまに耳にする、

「バカの相手は疲れる」

「本名でネットに意見を垂れ流して、バカだと思われたくない」

という意見について。

 

自分のようなしがないエンジニアにはあまり馴染みがないが、

大学教員や書物業をしている人たちは、あいつは賢いとかこいつはバカだと思ったり思われたりすることにとても神経質だ。

彼らに対する世間の扱いを順を追ってみると

 

1. あいつは専門家だ、賢そうだ (業界の噂、著書、テレビ出演、ブログなどoutputから着目される)

2. 話が面白そう、 意見を聞きたい (ニュース記者、編集者などマスコミからの評価の発生)

3. さらに本や新聞で論考を出す、テレビでコメントする 、ギャラや印税をもらう(さらなるoutput、1へ戻る)

 

という商売の根幹を支えるブランディングなので、日々他人を評価しつつ評価されることに怯えているとも見れる。

そんな彼らにとって、「バカだと思われる」ことは死活問題で、他人のバカなところがよく見えるのはよく分かる話だ。

 

バカの定義を確認すると、

馬鹿 - Wikipedia

  • 愚かなこと[1]
  • 社会的常識に欠けていること[2][1](「専門馬鹿」「役者馬鹿」「親馬鹿」などと用いる)。
  • 知能が劣り愚かなこと[2]
  • つまらないこと[2]。無益なこと[1]
  • 役に立たないこと[1]。機能を果たさないこと[2]

らしい。

よくよく見ると、これらの定義は結構主観的だ。

あいつは『愚かだ』とか、『社会的常識に欠けている』というのはある視点から評価したことに過ぎず、客観的にバカと決めつけることはこの定義だと難しそうだ。

 

そんな中で、客観的な「バカ」について論じた有名な著書がある。 

バカの壁 (新潮新書)

有名な本なので、ご存知の方も多いと思う。

つまりあの人たちとは話が合わないという「一元論」が「バカの壁」の元凶であり、アメリカ対イスラムの構造や日本の経済の停滞などもすべてこの理論で説明される

すべてこの理論で説明されるかどうかは措くとして、当時自分がこの本を読んで思ったのは、バカの壁とは「これ以上深掘りするのやーめた、」という瞬間のことなのではないかと思った。

 

例えば、日本の数学教育を例に挙げると、

1 : 小学生なら足し算引き算分数の掛け算割り算ができる

2 : 中学生なら因数分解や二次関数が分かる

3 : 高校生なら

 -> 文系なら、数列、ベクトル、微分積分

 -> 理系なら、極限や行列など文系よりも広い範囲

 

ここからさらに理系の高等教育機関や専門職に進めば、もっと高度な範囲を際限なく学ぶ事になるだろう。

 

ここで「バカ」の定義を単純化して、

小学生は中学生よりバカ、文系は理系よりバカというように知識の範囲でバカを定義してみたい。

こう考えると、ある事柄(例えば数学)について、長い時間を費やせば費やすほど「バカ」から離れる(賢いとされる)。

そして小学校から中学、高校、あるいは大学と学ぶうちに、どこかで「もう数学はこれ以上勉強しなくていいや、やーめた」と思う、思考停止する瞬間があるのではないかと思う。その瞬間から学ぶ時間はほぼゼロになり、学び続けた人と比べて「バカ」一直線の道を歩むことになる。

 

とここまで書いたものの、時間をかければ無限に賢くなるというような単純化は無理があるし、この話の流れだとそもそも数学の専門家以外は全員バカということになるが、もちろんそんなことはない。

 

話をアカデミズム界隈に戻す。

「バカ」から離れ続けることを生業としている人たちが自分の「賢さ」をアピールするためには、「バカ」にできない時間のかけ方が重要になるのではなかろうか...

 

...話がオチていない気がするが、そろそろ30分経った。久々に長文を書いたリハビリとしてある程度満足したので、終わることにする。